虹は何色(なんしょく)?

 
少し間が開きました。虹をどう描こうかと悩んでいたのですが、結局パッとしません。
 

 
虹にはいくつの色があるでしょう。
七色? 六色? 二色?
 
実際には赤外線から紫外線までの間の連続して変化する色の帯には無数の色があるわけですが、虹は七色だと思ってみれば七色に見えますし、六色だと思ってみれば六色に見えます。
 
大学の授業で習ったのは、エスキモーのどこかの部族では虹は「明るい色」と「暗い色」の二色に見えるそうです。
 
言葉/名前を与えることでその事象が他のものから切り取られて輪郭が与えられると言うことです。
 
音楽で例を挙げるとするならば、低いドの音から高いドの音まで、我々は声で連続して音を変化させることが出来ます。
トロンボーンや三味線などもそうでしょう。
しかし、ピアノに於いては、一オクターブの中の白鍵と黒鍵の数の音の名前を与えて切り出しました。
一オクターブの中にはその数しかもはや音は存在しないのです。
 
発音で言えば、「ア」の音から「エ」の音まで連続して音を変化させることが出来ますが、日本語に於いてはそれは「ア」と「エ」の二つの音に分けられます。英語に於いては、「ア」と「エ」の間に曖昧な母音が存在して、三つの音となります。
 
言語によって、意味領域、音の領域に違いがあると理解しておくことは大事です。
 

 
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複数言語間で訳す場合、いくつの能力が必要か

 

英語の勉強をしている時に、英文和訳はまあまあ出来るが、和文英訳はなかなか上手くいかないという感覚を持ったことがあると思います。
ということは、英日翻訳と日英翻訳は別の能力が必要であると。
 
何年か前にYahooの掲示板で以下のような記述があって、しばらく考えていた時期がありました。
 
上の日英翻訳の例で2通りの能力が必要だとされた場合、では日英仏の三カ国語間で翻訳をする場合は、何通り必要になるか。以下の通り6通り。3P2

 
では私のように日英仏伊となると、12通りと言うことになります。4P2

 
私の直感は「そんなはずはない」というものでした。これがやがて「フィルター理論」につながります。
 
訳語を一対一対応させるようなやり方だと上のようになるかも知れませんが、実際にはそうはなりません。
 

 
それぞれの言語でのインプットの能力とアウトプットの能力。それと言語間をスイッチする能力が必要になるのだと考えます。
 
続く

 
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四技能とインプット・アウトプット

 
外国語能力を語る時に、四技能(読む・聞く・書く・話す)に分けて語られることが多いです。
これが正しいかどうかは、そのうち検討することとして、とりあえずは分かりやすいのでこのままで。
 
では、その四技能とインプット・アウトプットとの関係はどうなるでしょうか。
 

 
これまでの学校英語は「読む・書く」、これからのあるべき英語の授業は「聞く・話す」中心などと語られることが多いですが、外国語能力について語る時は「文字/音声」という対応ではなく「インプット/アウトプット」という対応を用いるのがきれいに説明できるので、この区分で行きます。
 
続く。
 

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インプットとアウトプット

 
今日もモヤモヤっとしたグラフです。
 

 
読めても書けない漢字があったり、見聞きして分かるが自分では使えない語彙や言い回しがあることからも分かるように、インプット能力はアウトプット能力より必ず大きくなります。
語彙に限定して言えば学習初期に於いては見聞きして分かるパッシブ語彙と自分で使えるアクティブ語彙の差はそれほど大きくありませんが、学習が進み語彙が増えてくるとパッシブ語彙がどんどん増えていきます。
 
となると、さすがのネイティブでもインプットとアウトプットの関係はY=Xにはならず、段々となだらかなカーブを描くのだと思います。(ネイティブ曲線は私の命名です)
 
このグラフからは様々なことが分かります。
 
その人のインプット能力がどのくらいであるかは、本人以外には分かりません。(本人も分かっていないかも知れませんが)
周囲からは、その人のアウトプット能力を見てその人の能力を判断します。
よって、海外留学帰りのA点の人は、インプット能力は低いものの、アウトプットは(学習初期なので)Y=Xの近くでペラペラと話せます。
この人と、B点の英文学の教授あるいは英日翻訳家(インプット能力はものすごいが普段アウトプットの必要性がないのでアウトプット能力が低い)とを比べると、第三者から見た場合は、B点の人の方が英語ができると勘違いされる/正しく評価される?ことになります。
 
ここからは、英語能力測定の試験作りの難しさにも展開するでしょうし、自分が会話に困らずペラペラしゃべっているからと安心して読み取りの能力に気づかないという危険の話にもつながるでしょう。
 
また。アウトプット能力はインプット能力を超えられない。これは大きな意味を持ちます。
 
コミュニケーション重視という旗印のもと、インプット能力が十分に上がらないうちにアウトプット能力だけ上げようとしても無理があるということです。
 
コミュニカティブアプローチというのは、大量のインプットが前提になっているとのこと。「コミュニケーション重視」という言葉の意味を取り違えないようにする必要があります。
 
  
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外国語を学ぶと日本語が伸びる

 
外国語を知らない人は、自国語を知らない
Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.
ゲーテが言ったらしいですが、確かに外国語を学んだことで日本語の力も伸びたような気がしています。
語学力の定義がモヤモヤしている状況なので上手く言えないのですが、日本語に対する感受性が高まったとか(「花見月(はなみづき)」と「花見好き(はなみずき)」の発音の違いに悩むとか)、論理立てて話すようになるとか。
 
それはそれとして。
 

 
外国語を学ぶことで日本語の能力が上がると言うことであれば、グラフの上のA点からB点に動くと言うことになります。
そうであるならば、日本語の能力をA点からC点に引っ張り上げるならば、外国語の能力をB点に引き揚げ易くなるのではないかと考えることができます。
 
これを例えば発想の面から書いているのは三森ゆりか「外国語を身につけるための日本語レッスン」「外国語で発想するための日本語レッスン」(いずれも白水社)であり、古くはカミンズの氷山の法則であり、あるいは山田雄一郎「英語力とは何か」(大修館書店)に出てくる共通基底能力でしょう。
 
これは、「外国語能力は母語の能力を超えられないのだからまずは母語の能力を高めよう」というアプローチではなく、「外国語でやっても母語でやっても良いのだけれどとりあえず母語でやる方が取っかかりが良いから母語でやりましょう」ということだと思います。
 
国語の時間の国文法の授業も、母語を客観的に見る訓練となりその後の外国語の習得に役立っているのではないかと思っています。
 
 
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外国語能力は母語能力を超えられるか

 
前回と同じようなグラフですが、X軸を母語(我々であれば日本語)、Y軸を外国語としています。
 
国語学習本の多くの本で、「外国語能力はその人の母語の能力を超えることはできない」と書かれているのを見かけますが、その根拠が書かれているものにはお目にかかったことがありません。
 
グラフで言えば、Y=X の直線の上の部分に行くことはできないということになります。
 
これは感覚的には正しいような気がしますが、本当のところはどうでしょうか。
 
「能力」の定義をはっきりさせないと議論はいつまでもモヤモヤ状態でしょう。
 
例えば海外の大学に進学してそこで自分の専門の研究を行った場合、日本語では知らない専門用語をたくさん覚えます。よって語彙の観点からは(少なくとも専門用語の分野に於いては)外国語が母語の能力を超えることはあるということです。
 
あるいは、英語を身につけた人の日本語は理路整然としていて分かりやすいと良く言われるのは、(外国語能力とはちょっと外れますが言語活動の重要な部分と言える)論理的に説明する能力を外国語で身につけて、それが母語に影響しているケースだと言うことができるでしょう。
 
発音が母語に引っ張られて外国語のネイティブのようにならないというのはちょっと違う問題だと思います。(そもそもネイティブのような発音にすべきものかという議論もあるでしょう)
 
新しい単語の意味・概念を母語に引き寄せて理解する部分は多いので、母語の制約から離れてどんどん拡がっていくことは考えにくいですが、いずれにせよ定義をしっかりした上で議論すべきテーマだと思います。
 
 

 
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バイリンガルについて

 

 
バイリンガルについてのイメージをグラフにしてみました。
 
AとBがそれぞれ英語と日本語の完璧ネイティブだとすると、Cという点が完璧日英バイリンガルとなります。
 
ただ、そもそも完璧バイリンガルはいないと言われていて、(いても構わないのですけれど)どちらかが得意だと言うことがあるようです。
 
我々も完璧日本語ネイティブというわけではなく、日本人だからと言って日本語が完璧に話せているわけではないことは明らかです。
よって我々は、X軸上に、(X,Y)=(1,0)に近いところに位置しているというわけです。
 
説明を簡単にするために、(1,0)の上にいることにしましょう。
 
バイリンガルの定義にもいろいろあるようで、C(1,1)の完璧バイリンガルのみをバイリンガルと呼ぶ立場の人もいれば、二つの言葉で用が足せる(例えば電車の切符を窓口で買える)レベルであればバイリンガルと呼ぶ立場もあるようです。
 
我々は、B(1,0)の位置から、C(1,1)に近づこうと努力している英語学習者であり、Yの値が0より大きくなってきたところで、既に自分はバイリンガルであると呼ぶことも出来るわけです。
 
また、子ども時代に無理にバイリンガルにしようとして失敗した場合に、どちらの言語でも自分を表現できなくなるセミリンガルという呼び名があります。
家庭での会話が上手くできていれば言語獲得が上手くできていると錯覚すると危険です。家庭での会話は語彙も表現も限られていることに注意が必要です。
 
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